初期仏教のお話8 お釈迦さまの「四門出遊」と「出家」

お釈迦さまは、釈迦国の王子として生まれました。何不自由なく暮らしていたと思われます。お釈迦さまは、29歳のころ、城の門から出て美しい園へ向かいました。

園へ向かう途中「老いた人」に出会い、人の老いる運命を知りました。またある時、門から出ると「病人」を、またある時は「亡くなった人」を見ます。
そして、人間は、必ず老い、病を背負い、亡くなることを知り、苦悩しました。

経典に出てくる話の流れでは、お釈迦さまは29歳まで、人が老いることや亡くなることも知らなかったようです。
路上で老いた方を見て「この人は髪も体も、他の人のようではない」と馬車の運転手に問いました。
運転手は「人は皆、このようになります」と答え、お釈迦さまは「私もこうなるのか」と知り嘆きました。
病を背負う方を見ても、亡くなった方を見ても、同様に教えられ、ふさぎ込みました。
それほど、王子として保護され、隔絶された豊か(?)な生活を送っていたのでしょうか……。

そして、ある時、門から出ると「出家者」(しゅっけしゃ)に出会いました。
そして、お釈迦さまは「出家者」へ「何をしているのか?」と聞きました。
その「出家者」は、次のように答えました。

「陛下、実に私は『家から出たもの』(出家者)と呼ばれます。
正しい行いに素晴らしく、
穏やかな行いに素晴らしく、
良い行いに素晴らしく、
功徳ある行いに素晴らしく、
何も傷つけない行いに素晴らしく、
生き物への慈しみに素晴らしいのです」(1)

このように聞いたお釈迦さまは、妻子を城に残し、すべてを捨てて「出家」しました。
この出来事を「四門出遊」といいます。

この話をそのまま受け取ると、浮世離れした人物が、勢いですべてを捨てて「出家」してしまったようにも見えます。
この話が細部まで史実であるかはわかりませんが、お釈迦さまの「出家」の動機を知るにはとても大切な話だと思います。
お釈迦さまの胸の内に、何か苦しみを超えるヒントや気づきがあったのでしょう。

「出家」とは何でしょうか?

「出家=家から出る」と書きますが、「家や俗世間から離れ隠遁すること」と言えます。
家族の絆を断ち、財産なども放棄し、修行の道へ入っていくことです(2)
お釈迦さまは、家族や王子という立場すべてを捨てて、「出家」しました。

現代の出家した僧侶の姿

初期仏教のお話2に書きましたが、お釈迦さまが生まれる1000年前の「ヴェーダ」にも「出家者」とみられる修行者は登場します。
お釈迦さまのほかにも多くの「シャモン」たちが同様に「出家」し、修行していました。

一方、「出家」はしないけれど、俗世間に暮らしながら信徒になる場合は「在家」(ざいけ)といいます(家に在る)。
「出家者」と「在家者」との違いです。
仏教でいえば、僧侶(お坊さん)は「出家者」であり、信徒さんは「在家者」です。

ちなみに、当寺の宗旨は「浄土真宗」です。
「浄土真宗」では、住職などは厳密には出家しておりませんので、僧侶ではなく「在家のまとめ役」となります。

仏教においては、現代でもスリランカや東南アジアの上座部仏教、チベット仏教をはじめ、台湾、韓国などの僧侶は「出家者」として、概ね、俗世間を捨て、むやみな殺生をせず、財産を築かず、飲酒せず、結婚もせず、たくさんの戒律を保ち男女ともに厳しい生活を送っています。(時代、地域、派などによって程度の差はあり、戒律の種類も異なり一概には言えないようではあります)

(注・補足)
(1)MahāpadānaSuttanta, Dīgha-Nikāya Ⅰ 29.
(2)「出家」については、佐々木閑『出家とはなにか』(大蔵出版)などがお勧めです。

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