お釈迦さまが生まれたのは、2500年前(紀元前500年)のインドです。
さらに1000年ほど前に、インド大陸にアーリア人とよばれる人々が侵入・流入
したと考えられています。
アーリア人は、中央アジアにいた人々と考えられ、ヨーロッパやイラン地方などに移動し広がる中で、インド大陸にも移住してきたようです。
アーリア人は肌の色の白い人々であったらしく、もともと住んでいた肌の色の黒い人々(ドラヴィダ人など)を征服したとされ、次第に混ざり合い、インド大陸に定着したようです。
この色の違いが、後にヴァルナ(色)として上下の階級を形成していきます。
彼らはとても好戦的で、原住民を征服し、隷属させたとも言われます。
実際はどうだったのでしょうか。とても古い話ですので、詳細はわかりません。
彼らアーリア人は「ヴェーダ」という聖典を持っていました。
聖仙(仙人のような人)が天から感得したもので、今でいうところの「神の言葉」のようなものでしょう。
ヴェーダは何かに書写すると頭が破裂するといわれ、すべてが精密な暗唱システムの中で記憶され、長い年月、累々と口伝で伝えられました。(現代では文字で読めますが)
最も古いヴェーダは「リグ・ヴェーダ」(紀元前1000年前後?)とされます。
主に、多神教であった彼らの神々への賛歌(祭祀儀礼の詞、呪詞など)です。
たとえば、下記の一節があります。
われ今宣らん、インドラの武勲〔の数々〕を、ヴァジュラ手に持つ〔神〕が、最初にたてしところの。彼はアヒ(蛇)を殺し、水を穿ちいだし、山々の脾腹を切り裂けり。(1)
「インドラ」は雷の武勇神であり、「帝釈天」(たいしゃくてん)と漢訳され、日本に伝わりました。「ヴェーダ」の神は、我々の身近にいます。
また、下記の節を読むとお釈迦さまが生まれる、ずっと以前から、インドには苦行などを行い、何かを求める修行者がいたことがわかります。
風を帯びとする(裸体の)苦行者たちは、褐色にして垢を〔衣服として〕纏う。
彼らは風の疾走に従いて行く。神々が彼らの中に入りたるとき。(2)
元からインドに住んでいた人々の文化も「ヴェーダ」に影響したようです。
さまざまな考えや文化、民族が交錯して、「ヴェーダの宗教」というものが形成されたと思われます。
そして、後世、インドの民族宗教といえる「ヒンドゥー教」(現在インドの人口の8割はヒンドゥー教徒)へと展開していきます。
もちろん、古代の世界ですから、多くの人が「ヴェーダ」を知り、理解していたというよりは、支配者や貴族、司祭や修行者などにとって、ある種の一般常識となったのではないでしょうか。
日本の平安時代、優雅な着物を羽織り「源氏物語」などを楽しんでいたのは極めて少数の貴族のみでしょう。ほとんどの人々は文字も読めず、その日を生きるために厳しい生活をしていたはずです。
古代インドも同様に、大多数の人々は「ヴェーダ」の詳細など知らず、その日を生きるために必死に生きていたのではないでしょうか。
お釈迦さまは出家するまでは釈迦国の王子でもあり、当時の世界においては、極めて余裕のある生活をしていたと想像できます。「ヴェーダ」の勉強もしていたはずです。
なぜかといいますと、仏教の経典を読むと、しばしば「ヴェーダ」について言及されますし、「ヴェーダの宗教」の司祭である「バラモン」についても、
『昔のバラモンは素晴らしかった(今のバラモンは退廃している)』(3)
などと、しばしば言及されています。
お釈迦さまは、インドの地で一人突然、ゼロから多くのことを悟り、教えを広めたのではありません。
当時のインドに広まっていた思想を土台に、他の修行者にも師事し、発展させ、仏教なるものを形作ったものと思われます。
この「ヴェーダの宗教」は、お釈迦さまや当時の修行者にとても大きく影響を与えていたはずです。
(注・補足)
(1) 辻直四郎 『リグ・ヴェーダ賛歌』 岩波文庫, p.150.
(2) 辻直四郎 『リグ・ヴェーダ賛歌』 岩波文庫, p.336.
(3) Dīgha-Nikāya Ⅰ, PTS, pp.104-105.など、仏典には当時のバラモンの退廃を嘆く文脈が散見される。