お釈迦さまが生きていた当時から、「ヴェーダ」の権威のもと、4つの階級(カースト)がありました。一番上のカーストは、司祭階級としての「バラモン」(婆羅門)でした(1)。
一方、「バラモン」や「ヴェーダ」の権威を否定し、自由に考える修行者たちがいました。
彼らを「シャモン」(沙門)といいました。お釈迦さまも、「シャモン」の一人です。
しばしばインドの写真や映像などで、河のほとりで裸の近い姿で座禅をしていたり、体中に何かを塗って修行していたり、簡素な服をまとい山中などで瞑想している人々が映ります。
「シャモン」は、そのような人々(修行者たち)をイメージするとよいのかもしれません。
当時のインドを訪れたギリシャ人のメガステネス(紀元前3世紀頃?)は、「沙門は森の中で、木の葉と野生の果実を食べて生活している。また樹皮で作った衣をまとっている」と言及していたようです(2)。
当時、「シャモン」はたくさんいたようですが、あくまでインドにおける主流派は「ヴェーダ」を元とした「バラモン」であり、その「バラモン」を軸とした「バラモン教」(「ヴェーダの宗教」とも)でした。
新興勢力として、「シャモン」がいたわけです。
「バラモン教」は、後の「ヒンドゥー教」へと次第に発展していきます。
今も昔も、インドにおいて主流であり多数派は、「ヴェーダ」から連なる伝統です。
現代のインドでは、約80%の人々が「ヒンドゥー教徒」、15%が「イスラム教徒」であり、「仏教徒」は1%に満たないそうです。
お釈迦さまは、伝統的な勢力に対して、一般的にその権威を認めない新興勢力の「シャモン」でした。
しかし、仏典には
「昔のバラモンは素晴らしかったが、今のバラモンは退廃している」
「私は古の仙人が通った道を見つけた」
などという言葉が見られます。
お釈迦さまは伝統的なバラモンなど、すべてを否定したわけではないようです。むしろ、伝統的なものを土台に少し発展させた、というべきかもしれません。
主流や新興などという枠組みは後付けされたものでしょうし、お釈迦さまは、そこに囚われたり、所属していたわけではなかったようにです。
ただ、より良い真理を求めたのでしょう(3)。
仏典には、たくさんの「シャモン」が登場します。
お釈迦さまが師事した師匠のような「シャモン」から、お釈迦さまと同時期に活躍していた「シャモン」たちも登場します。
有名な沙門の一人に、「マハーヴィーラ」(ニガンタ・ナータプッタ)という人がいました。
後々、仏教と姉妹宗教などといわれる「ジャイナ教」の開祖です。「ジャイナ教」は、現代インドにおいても存続しています(「仏教」同様、規模はとても小さく、徹底した非殺生を特徴とします)。
仏教の経典において、しばしばこの「ジャイナ教」について、批判的に言及されます。おそらく、当時、ある程度ライバル関係にもあったのかもしれません。
(注・補足)
(1)上から、バラモン(司祭)、クシャトリヤ(王族)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(隷属民)と、大きな区分としては4つの階級がある。
(2)中村元(1955)「マウリヤ王朝時代における沙門」,『印度学仏教学研究』, 3巻2号, pp.727-735.
(3)Saṃyutta-Nikāya Ⅴ pp.25-26 などにおいては、シャモンやバラモンの在り方や境地として仏教の八正道を説くなど、両者を明確に区別していないような文脈も見られます。真理を求める者、という枠組みで見ていたのかもしれません。