初期仏教のお話4 「文字は使われていたのか?」

「初期仏教のお話」2において、「ヴェーダ」は暗唱されたと書きました。

お釈迦さまの説いた教えも、口伝で数百年間伝えられました。
最初に文字化されたのは、紀元前1世紀ころのスリランカと考えられています。
なぜわかるかといいますと、『島史』というスリランカの史書に下のように書かれているのです。

大いなる知恵を持つ比丘たちは口伝によって三蔵(お釈迦様の教え)の本文と、又その注釈を伝承していた。その時、集まった比丘達は衆生の失われていくのを見て、法の長期間の存続のため書において刻ませた。(1)

戦争などによって仏典を暗記していた人々が減ると伝承が途絶えますから、書いて残したというのです。
『島史』に登場する王様の時代などから紀元前1世紀ころには書写されたと推測されています。
『島史』は伝説的な史書ですので、書かれていることがどこまで事実なのかはわかりません。
また、記録には残っていなくても、実際にはどこかで文字化されていた可能性もあるかもしれません。

ヤシの葉を加工した書物
By ಶ್ರೀ – Scanned a folio., CC BY-SA 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29880576

お釈迦さまが存在したころのインドでは、人々は現代のように文字を幅広く使用していたのでしょうか?

まず、文字を書くには「紙」のようなものと「筆記具」が必要です。
古代の世界では、今のように安定した「紙」「筆記具」というものはなかったと推測されます。
主に、ヤシの葉を加工したものに文字を記していたそうです。

上述のスリランカで仏典が初めて書写された当時も、おそらくヤシの葉に記したと考えられます。
ヤシの葉は、200~300年ほどは保たれるそうです。

インドにおいては、紀元前3世紀、仏教に帰依したとされるアショーカ王により石柱などに文字が彫られ、今でもインド各地に残っています。
王は文字で刻ませたわけですから、ある程度、人々が読むことを想定していたのでしょうか(2)


アショーカ王の石柱(ヴァイシャーリー)
By Bpilgrim (talk · contribs) – Own work, CC BY-SA 2.5,
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しかし2000年以上前の識字率を想像しますと、当時のほとんどの人々は、文字が読めなかったのではないでしょうか。

石柱に刻まれた当時の文字(サールナート)
By free – wikimedia, CC BY-SA 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7024773

仏典には、文字らしきものの使用が伺われる箇所があります。

 例えば、当時の「遊び」として登場する「アッカリカー」(akkharikā)(2)というものがあります。
後代の解説は、「アッカリカーとは, 背中または空間に文字を識知する遊びと言われる」(3)と説明されています。

2000年以上前の遊びですが、背中や空間に文字を書いて何と書いたか当てる……今でもやったことのある方は多いのではないでしょうか。

どこまで文字を使用していたのか、正確なことはわかりません。

Rhys Davids氏は、当時、公的または個人間では文字が使用されていたと推測します(4)
また、 Perela氏は、上記の遊び「アッカリカー」は文字に先行する(音声上の)区分であろうとし、この記述をもって文字が発展していたとすることは疑わしいと言います。(5)

また薮内氏は、スリランカにおいては紀元前5世紀から書状(lekha)が伝達の手段であったとし(6)、仏典において「ウパーリ(仏弟子)が書写(lekha)を学べば, 指に苦痛が生じるであろう」(7)と示されていることから、お釈迦さま在世中においても、書写という行為が存在していたと述べています。

複数の研究者によると、アショーカ王の碑文には「送り状」が使われていたことが確認でき、文字の使用が推測されるとします(8) 

このように、文字の使用に関していろいろな考察がなされていますが、当時の社会の中でどれほど文字が使われていたのかはよくわかりません。

しかし、使われていたとしても少数の人が特定の場合や機会に応じて使用していたのだと推測されます。
とはいえ、当時の多くの人々も、いくつかの文字や記号のようなものを、生活や遊びの場において使用していたことは想像できます。

(注・補足)

(1)Dīpawaṃsa 20, PTS, 19-21.
(2)Collinsによると碑文は(人々に)広く読まれることではなく, (読まれ)聞かれることを想定しているという。Collins, Steven (1992) Notes on Some Oral Aspects of Pali Literature”, Indo-Iranian Journal 35, no.2/3, pp.121-135.
(2)Dīgha-Nikāya Ⅰ 7.
(3)Akkharikā vuccati ākāse vā piṭṭhiyaṃ vā akkhara-jānana-kīḷā. 「アッカリカーとは, 背中または空間に文字を識知する遊びと言われる」(Dīgha-Nikāya Aṭṭhakatā Ⅰ p.86).
(4)T.W.Rhys Davids (1911) Buddhist India, london:T.Fisher Unwin Adelphi Terrace, pp.108-109.
(5)L.P.N. Perera (1972-1976)“Pali Akkharika: A Chirlren’s Game?”, Vidyodana J. Arts. Sci. Lett. Vol.5, pp.35-41.
(6)薮内聡子(2009)『古代中世スリランカの王権と佛教』山喜房佛書林, pp.255-258.
(7)VinayaⅠ, PTS, 77.
(8)Norman, K.R.(1987)“Aśoka’s “Schism”Edict.” Buddhist Seminar(佛教學セミナー)46, pp.82-114., 下田正弘(2020)『仏教とエクリチュール』(東京大学出版会)など。

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