初期仏典は、「パーリ語」という言葉で残っております。
お釈迦様が亡くなってから数百年間、お釈迦様の教えは口伝で伝えられました。
(お釈迦様は紀元前5世紀ころの人物と想定されています。)
伝承では紀元前1世紀ころ、現在のスリランカにおいて、戦乱などにより教えが断絶されることを憂いて、文字として残されたといいます。(1)
(4,5世紀に書かれたスリランカの伝説的な史書にそのように記されていますが、事の真相は不明です。)
そして経典の言葉であるパーリ語で、「sati」(サティ)という言葉が「マインドフルネス」(mindfulness)と英訳されました。
satiは、漢訳では「念」と翻訳されました。
いわゆる「念仏」とは、「仏」に対するマインドフルネスを意味します。
マインドフルネスは、初期の仏典において、しばしば「三隨念」(ti anussati)として登場します。
「三隨念」とは、仏・法・僧という三つの対象へ注意を向ける(マインドフルネス)修習です。
仏典では、「三隨念」の他に「六隨念」「十隨念」という言葉も登場します。
これらは、注意を向ける対象の数や種類が異なります。
三隨念・・・仏・法・僧
六隨念・・・仏・法・僧・戒・施・天
十隨念・・・仏・法・僧・戒・施・天・死・身・呼吸・寂止
これらの対象へ注意を向けることで、心を清浄に整え、また、その功徳によって死後により良い境遇へ向かうことを目指したようです。
この考え方の前提には、古代からつづくインド思想である「輪廻」があります。
例えば、初期の仏典には下記のように隨念(sati, マインドフルネス)の効用が説かれています。
また実に比丘達よ, 私(仏)はこのように言う. 「もし比丘達よ, あなた方が荒野にいたとして, また
木の根にいたとして, また空き家にいたとして, 恐怖また驚きまた身の毛が立つことが起きたら, その
時, 私を随念(sati)せよ.〔略〕恐怖また驚きまた身の毛が立つこと, それは消え去るだろう.
もし私を随念できないのなら, 法を随念せよ.〔略〕恐怖また驚きまた身の毛が立つこと, それは消え
去るだろう.〔略〕
それは何の因なのか?なぜなら比丘達よ, 如来, 尊敬されるべき者, 完全なさとりを開いた者は貪り
を離れ, 怒りを離れ, 愚かさ離れ, 恐れなく, 狼狽なく, 怖がらず, 逃げ去らない」と.(2)
「荒野にいて恐怖を感じたら・・・」とは、具体的には荒野に住む獣類を指していると思われます。
一見、恐怖が治まったとしても獣は存在するわけですから、その後どうなるのか気になるところです。仮に獣に襲われたとしても、自身への執着がない修行者にとって、それはただ無常である・・ということかもしれません。
いずれにせよ、自身を仏・法・僧などの良いイメージと重ねることで、心を静め、煩悩から離れることを意図していたようです。
(注・補足)
(1) 4,5世紀に書かれたスリランカの伝説的な史書である『島史』(Dīpawaṃsa)において, 紀元前1
世紀のヴァッタガーマニー・アバヤ王の時に, 口伝から書写を行ったと記されています。
「島史」については、このような和訳本も出版されています。
(2)Saṃyutta-Nikāya Ⅰ, PTS, pp.219-220.