紀元前の初期仏典には、「呼吸へ注意を向ける修習法」(マインドフルネス)が記されています。
(マインドフルネスはパーリ語ではsati、漢訳では「念」と翻訳されました)
後に「数息観」とも呼称されましたが、古代インドの言葉では「アーナーパーナサティ」(ānāpānasati)と言います。
では、どのように呼吸へ注意を向けて、心を煩悩から解放しようとしたのでしょうか。
下記の16段階の呼吸法が示されています。
1.長く入息しつつ, 「私は長く入息している」と知る.
長く出息しつつ, 「私は長く出息している」と知る.
2.短く入息しつつ, 「私は短く入息している」と知る.
短く出息しつつ, 「私は短く出息している」と知る.
3.「すべての身体を感じつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「すべての身体を感じつつ, 私は出息する」と学ぶ.
4.「身体の形成力を安息させつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「身体の形成力を安息させつつ, 私は出息する」と学ぶ.
5.「喜びを感じつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「喜びを感じつつ, 私は出息する」と学ぶ.
6.「安楽を感じつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「安楽を感じつつ, 私は出息する」と学ぶ.
7.「心の形成力を感じつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「心の形成力を感じつつ, 私は出息する」と学ぶ.
8.「心の形成力を安息させつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「心の形成力を安息させつつ, 私は出息する」と学ぶ.
9.「心を感じつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「心を感じつつ, 私は出息する」と学ぶ.
10.「心を喜ばせつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「心を喜ばせつつ, 私は出息する」と学ぶ.
11.「心を統一しつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「心を統一しつつ, 私は出息する」と学ぶ.
12.「心を解放させつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「心を解放させつつ, 私は出息する」と学ぶ.
13.「無常を随観しつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「無常を随観しつつ, 私は出息する」と学ぶ.
14.「離貪を随観しつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「離貪を随観しつつ, 私は出息する」と学ぶ.
15.「抑止を随観しつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「抑止を随観しつつ, 私は出息する」と学ぶ.
16.「放棄を随観しつつ, 私は入息する」と学ぶ.
「放棄を随観しつつ, 私は出息する」と学ぶ.
このように、自分の呼吸を客観的に意識していくことが求められました。
現代のマインドフルネスの解釈においては、マインドフルネスは「習慣的な価値判断から離れ、ありのままに物事を見ること」などと理解されることが多いです。(この理解は間違いとは言えないと思いますが、satiは過去世を思い出すことも重要な機能であり、satiをそのまま現代的に理解することは難しい面があります。)
そして、上記のように段階的に呼吸を整え、煩悩を沈めていくことで大きな果を得ることができると記されています。
とはいえ、例えば後のスリランカの学僧(ブッダゴーサ)は、このような修習法は戒(良い生活習慣)を備えていてこそ意味があると述べています。
まずは、仏教の戒を備え、正しい生活を送ることが上記の修習をする前提となるのでしょう。
いずれにしても、古代の人々も生・老・病・死などの苦しみから逃れるために、さまざまな方法で思索していたことが分かります。