初期仏教のお話16 お釈迦様以外の思想家(2)「六師外道」

前回のお話では、「六師外道」の一人、プーラナ・カッサパという人物を紹介しました。

今回は、マッカリ・ゴーサーラという人物を取り上げます。

このマッカリ・ゴーサーラも、仏典において「六師外道」の一人として紹介されています。
彼は、仏教より以前から存在していた宗教である「アージーヴィカ教」の代表的人物(教祖?)とされております。

なぜ、「アージーヴィカ教」が仏教より以前から存在していた、と分かるのかといいますと、お釈迦さまは悟りに至った後、鹿野園へ向かいます。
その途中に「アージーヴィカ教徒」のウパカという人物に出会った、と仏典に記されております。

この記述により、まだ仏教という団体ができるまえに、すでに「アージーヴィカ教」という団体があったことが分かるのです(もちろん、仏典がどこまで正確であるかという問題はあります)。

悟りに至り、鹿野園へ向けて歩いているお釈迦さまを道端で見かけたウパカは、次のように話しかけます。

「あなたの諸々の感官は清らかで、皮膚の色は清浄で白い。あなたは誰を師として出家したのか?あなたの師は誰であるのか?誰の教えを受けているのか?」

このように問われ、お釈迦さまは「私は自ら悟った。師はいない。」とウパカへ答えました。

「私は諸々の悪いものを克服した」と言うお釈迦さまへ、ウパカは「そうかもしれない」と返答し去りました(1)

この「アージーヴィカ教」は、お釈迦さまが存在した数百年後の石柱の碑文にも登場します。インドにおいて、ある程度、大きな勢力を保っていたようです。

教えとしては、「運命論」を説いたと伝えられています。

衆生が汚れることに原因はなく、行為や努力によってそれらを清めることも無理であること、あらゆる努力などに意味はないとしました。
定められた運命により愚かな者も、賢者も、流転しつづけ輪廻を繰り返し、糸玉が投げられると、糸が解けながらころがっていくように、いつか苦しみが止むことを説いたようです。
また、出家者には苦行などが課せられ、占いなどもしていたようです。

仏教から見ると、行為の果もなく努力・精進も意味はなく、すべては運命による定めであるという考え方は、受け入れることができない考え方だったでしょう。

「アージーヴィカ教」は、大きな教団として仏教同様に勢力を保っていたようですし、簡単な運命論であるだけではなく、深い意図や教えもあったのではないでしょうか。
しかし、詳細は残っておらず、よく分からないのです。

「六師外道」の内のもう一人は、アジタ・ケーサカンバリンという人物です。

アジタ・ケーサカンバリンは、今で言うところの「唯物論」のようなものを説きました。

布施もなく、供養もなく、行為の果報(善因善果・悪因悪果)もなく、この世もあの世も、父・母もなく、沙門もバラモンもいない、と説きました。
当時のインドの伝統的な考え方を、大きく否定したようです。

ただ、人間とは四大元素(地・水・火・風)から成り、死んでも元素に戻るだけであるとしました。

人間は死後には存在しないと言い、輪廻という考え方も否定したのでしょう。

仏典にわざわざ取り上げられているからには、それなりに勢力があり、仏教とも何らかの接点があったのかもしれません。
しかし、詳細はわからず、彼の教えの集団のようなものがあったのかも分かっていません。

古代インドのことは、文献などで残っていないため、残念ながらよく分からないことばかりなのです。

(注・補足)
(1)Majjima-Nikāya Ⅲ pp.170-171

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