前回のお話では、「六師外道」の一人、プーラナ・カッサパという人物を紹介しました。
今回は、マッカリ・ゴーサーラという人物を取り上げます。
このマッカリ・ゴーサーラも、仏典において「六師外道」の一人として紹介されています。
この人物は、仏教より以前から存在していた宗教である「アージーヴィカ教」の代表的人物(教祖)とされております。
なぜ、「アージーヴィカ教」が仏教より以前から存在していた、と分かるのかといいますと、お釈迦さまは悟りに至った後、鹿野園へ向かいます。
その途中に「アージーヴィカ教徒」のウパカという人物に出会った、と仏典に記されております。
この記述により、まだ仏教という団体ができるまえに、すでに「アージーヴィカ教」という団体があったことが分かります(もちろん、仏典がどこまで正確であるかという問題はあります)。
悟りに至り、鹿野園へ向けて歩いているお釈迦さまを道端で見かけたウパカは、次のように話しかけます。
「あなたの諸々の感官は清らかで、皮膚の色は清浄で白い。
あなたは誰を師として出家したのか?
あなたの師は誰であるのか?
誰の教えを受けているのか?」
このように問われ、お釈迦さまは「私は自ら悟った。師はいない」とウパカへ答えました。
「私は諸々の悪いものを克服した」と言うお釈迦さまへ、
ウパカは「そうかもしれない」と返答し去りました(1)。
この「アージーヴィカ教」は、お釈迦さまが存在した数百年後の石柱の碑文にも登場します。
インドにおいて、ある程度、大きな勢力を保っていたようです。
教えとしては、「運命論」を説いたと伝えられています。
人々が汚れることに原因はなく、行為や努力によってそれらを清めることも無理であること、あらゆる努力などに意味はないとしました。
定められた運命により愚かな者も、賢者も、流転しつづけ輪廻を繰り返し、
糸玉が投げられると、糸が解けながらころがっていくように、
いつかは苦しみが止むことを説いたようです。
また、出家者には苦行などが課せられ、占いなどもしていたようです。
仏教から見ると、行為の果もなく努力・精進も意味はなく、
すべては運命による定めであるという考え方は受け入れることができない考え方だったでしょう。
「アージーヴィカ教」は、大きな教団として仏教同様に勢力を保っていたようですし、
簡単な運命論であるだけではなく、深い意図や教えもあったと思われます。
しかし、詳細は残っておらず、よく分からないのです。
「六師外道」の内のもう一人は、アジタ・ケーサカンバリンという人物です。
アジタ・ケーサカンバリンは、今で言うところの「唯物論」のようなものを説きました。
布施もなく、供養もなく、行為の果報(善因善果・悪因悪果)もなく、この世もあの世も、父・母もなく、沙門もバラモンもいない、と説きました。
この人物は、当時のインドの伝統的な考え方を、大きく否定したようです。
ただ人間は四大元素(地・水・火・風)から成り、死んでも元素に戻るだけである、としました。
人間は死後には存在しないと言い、伝統的な輪廻という考え方も否定したのでしょう。
仏典にわざわざ取り上げられているからには、それなりに勢力があり、仏教とも何らかの接点があったのかもしれません。
しかし、詳細はわからず、思想集団のようなものがあったのかも分かっていません。
古代インドのことは、文献などで残っていないため、残念ながらよく分からないことばかりなのです。
(注・補足)
(1)Majjima-Nikāya Ⅲ pp.170-171