初期仏教のお話15 お釈迦さま以外の思想家(1)「六師外道」

お釈迦さまが実在した2500年前のインド。
お釈迦さまも当時の思想家の一人ですが、お釈迦さま以外にも、さまざまな思想家(現代の言葉では哲学者・宗教家とも言えるでしょうか)が存在しました。

お釈迦さまは悟りに至る前に、幾人かの思想家のもとへ弟子入りをしていますし、当時、多くの思想家がお釈迦さまの前にも後にも存在していたのです。

仏典には、当時の思想家として批判的に6人が挙げられております。

おそらく、6人は大きな集団を持ち、影響力があり、お釈迦さまが活動していた地域の周辺に存在し、仏教とも少々関係があったから、あえて仏典において言及されているのだと思われます。

その6人を「六師外道」(ろくしげどう・仏教以外の6人の師)といいます。

仏典にはこの6人以外にも、さまざまな事象に対して多くの見解・論があったとされていますから(たとえば、常住論・無常論・詭弁論などなど・・・)、当時のインドには6人以外にも、たくさんの仏教以外の思想家がいたはずです。
正確なことは何もわかりませんが、仏教同様、弟子を抱えて集団で暮らしていた思想家も数多くいたのでしょう。
その多くは途絶えてしまったのでしょう。
歴史には何の痕跡も確認できません。

仏典に登場する六師外道の1人目は、「プーラナ・カッサパ」という人物です。

プーラナ・カッサパは、道徳などを否定したと伝えられています。
当時は、良いことをすると良い果報を得られ、悪いことをすると悪い果報がもたらされるという考え方が一般的?であったと思われます(善因善果 悪因悪果)。

しかし、プーラナ・カッサパは、他者を傷つけること、苦痛を与えること、悲しみを与えること、他者を襲うこと、強盗すること・・・これらの行為は罪悪ではないと言いました。
また、布施や功徳となる良い行為も果報はなく、修行による成果もなく、(行為による)良い果報も悪い果報も存在しない、としました。
これらは、当時のインドの様々な思想家や宗教家の教えや実践を、意味のないものとして否定したのでしょう。
おそらく、上記のように考える理由や思想もあったと思われますが、これ以上のことは仏典には伝わっておりません。

日本においても、戦後、東京だけでも数百もの宗教団体が現れたといいます。
そのほとんどは、自然と衰え、消えていったと思われますが、様々な要因によって、いくつかは今も勢力を保っているようです。
特に世情が大きく動く時は、心の支えや指針として、宗教というものが生まれてくるようです。
当時のインドでは、生活環境の厳しさに加え、都市の発達、農作物の生産量の増加、富裕層の登場など、伝統的な価値観に疑問を抱く流れもあったようです。
伝統的なヴェーダの宗教を土台として、またはそれを批判しながら、多くの思想家が登場していったのではないでしょうか。

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