初期仏教のお話13 「過去世(前世)を思い出す」

古代インドにおいて、生き物は生まれ変わりを繰り返す「輪廻」という考えが前提となっていました。

当時、「輪廻」を否定する思想家もいましたが、仏教含め古代インドにおける思想や宗教の主流派は、すべて「輪廻」があることを前提としています。
そして、生きることを繰り返す「輪廻」は苦しみであり、悟りに至ることでその「輪廻」から離れることを目指していました。

「輪廻」するということは、生き物それぞれには「過去世(前世)」があった、ということになります。

日本のとある新宗教では、「〇〇の前世は天照大御神であった」、とか「妖怪〇〇」であったなどの霊言をするようですが、そのモデルは「輪廻」を前提とした「過去世」でしょう。


初期経典では「過去世」を思い出すことについて、しばしば言及されます。

具体的な話として、「お釈迦さまの過去世がヴィパッシン仏で……」などと説かれることもあるのですが、下記の話が定型句として最も多く現れます。

彼は心が定まり、清浄に、浄化され、無垢であり、付随する煩悩から離れて、しなやかになり、適した作業〔に従事し〕、確立し、不動に至り、過去世の住所(生存)を思い出す智慧へ心を向ける。
彼は多くの備えた過去世の住所(生存)を思い出す。
それは次のようである。


1つの生存も、2つの生存も、3つの生存も、4つの生存も、5つの生存も、10の生存も、20の生存も、30の生存も、40の生存も、50の生存も、100の生存も、1000の生存も、100,000の生存も、多くの消滅の劫(非常に長い期間)も、多くの再生の劫も、多くの消滅と再生の劫も〔思い出すのである〕。

「そこで私はこのような名であった、このような家系であった、このような身分であった、このような食物を〔食べ〕、このように楽と苦を享受し、このような生涯であり、彼はそこから消え、そこで生まれ、そこでまたこのような名であった、このような家系であった、このような身分であった、このような食物を〔食べ〕、このように楽と苦を享受し、このような生涯であったと、彼はそこから消え、ここで再生した」と。

このように 多くの状況と詳細な説明と共に、多くの備えた過去世の住所(生存)を思い出す(1)

 仏典には「輪廻」は無始(始まりがない)である、と説かれます。
生き物は、延々と長い「輪廻」を繰り返しているというのです。
上記の話では、十万もの生存の過去世も思い出す(ことができる)と説かれています。

「過去世」があるということは、何とか思い出すことも可能である、と考えられたようです。
そのためには、経典において「繰り返し思い出そうと注意を向けること」や、修行を進めることが条件となっています。

(注・補足)
(1)Majjhima-Nikāya Ⅰ 347-348.

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