当寺は「浄土真宗」のお寺でございます。
この「浄土真宗」は「親鸞」(しんらん, 1173-1263)という鎌倉時代の僧を始まりとしています。
一般に「非僧非俗」(ひそうひぞく, 僧でも俗人でもない)、「悪人正機」(あくにんしょうき)などの考え方がよく知られております。
親鸞は、京都に生まれ、90歳で亡くなるまで「浄土真宗」の教えを説き布教もしました。
一般的には、「浄土真宗」は戒律を持たない在家仏教として考えられていると思います。
この「浄土真宗」と「初期仏教」との関係はどのようなものでしょうか。
私は初期仏教を学んでいるなかで、研究者の方に「浄土真宗なのに、なぜ初期仏教なの?」と問われたことが数回あります。
その意味としては「浄土真宗は初期仏教と最も関係がなさそうな宗派なのに、なぜ初期仏教を学ぶのか?」というニュアンスです。
しかし、親鸞という方の教えを学ぶと、「浄土真宗」は「初期仏教」と、ある一面においてダイレクトに繋がりがあることがわかります(どの宗派ももちろん、繋がりがあります)。
親鸞という方は比叡山延暦寺にて20年ほど学問と修行に励んでいたといいます。
インドの仏典は中国で漢訳され日本に伝わりましたから、親鸞はその漢訳された仏典から仏教を学んでいたはずです。
親鸞の著作を見ると、初期仏教の「阿含経典」などもよく学んでいたことがわかります。
親鸞が選んだ真宗の教えの元となった七人の僧を「七高僧」といいます。
第一祖は「ナーガールジュナ」という方で、「龍樹菩薩」(りゅうじゅぼさつ)と漢訳されました。
龍樹は、南インドに関係しており(実際の正確なところは不明です)、西暦150-250年くらいに実在した僧侶と考えられています。
「空」の思想を積極的に、理論的に体系づけ、「大乗仏教の祖」とも形容されます。
(彼に関しては「龍樹」中村元 講談社学術文庫 という本がお薦めです)
親鸞の説いた真宗の教えの要説である「正信偈」には、七高僧の紹介が出てきます。
一番初めに
「龍樹大師が世に出でて、ことごとく有無の見を破った」
と紹介されています。
「有無の見」とは、「有」や「無」という概念は相互に依存した関係であり、我々が頭の中で作り上げているだけである、と。
我々が思っているように物事は「有」るのではなく、相互の関係性の中で言葉によって、頭の中で作り上げているのだと。
「有」という概念も、「無」という概念に支えられ、作られている。
この考え方は「空」(くう)ともいいます。
たとえば、世の中が「白」一色であったら、「白」という概念は生まれるでしょうか?
おそらく「白」以外の色ではないことから「白」という概念は生まれるでしょう。
私一人なら、「私」という概念は生じないのではないでしょうか。
無数の条件や縁によって、すべては相互に依存しながら作り上げられていると言えるでしょう。
しかし、一つ一つの概念を独立した実体として捉え、執着し、苦しんでいるのが我々ではないでしょうか。
このような間違ったものの見方(戯論)を鎮めること(寂滅)を「戯論寂滅」(けろんじゃくめつ)ともいいまして、たどり着くべき仏教の目的の一つでもあります。
そのような考え方を前提に、「浄土」や「阿弥陀」があります。
私は、浄土真宗の教えは初期仏教の「在家仏教」と近いのではないかと感じています。
初期仏典において、「念仏を修習し、その果により(死後に)天などのより良い境遇へ」という
文脈は散見されます。残念ながら初期仏典に阿弥陀は登場しませんが、浄土思想の元の流れは明確であると私は思います(論証はできません)。
浄土真宗の一面を見ますと、智慧を学び、念仏(マインドフルネス)をし、
在家信仰(出家も含みますが)でもある、天(浄土)へ向かうと考えることもできます(もちろん、親鸞の教えはそれだけではありません)。
これは古代インドの在家信徒の在り方とも、重なる面が多分にあるように思います。
とはいえ、2500年前のインドと現代の日本をそのまま重ねて考えることは無理があります。
当時は、水は生きているのか?と、問うような世界でした。
太陽がなぜ地面から上がってくるのか、夜はなぜ暗いのか、魂とは何か……。
目の前にある現象、何もかもが、現代の理解とは異なる世界です。
仏典の解釈や理解も柔軟にとらえ、我々の現代の生活に生かしていく必要があろうかと思います。