お釈迦さまが実在した2500年前のインド。
お釈迦さまも当時の思想家の一人ですが、お釈迦さま以外にも、さまざまな思想家(現代の言葉では哲学者・宗教家とも言えるでしょうか)が存在しました。
お釈迦さまは悟りに至る前に、幾人かの思想家のもとへ弟子入りをしていますし、当時、多くの思想家がお釈迦さまの前にも後にも存在していたのです。
仏典には、当時の思想家として批判的に6人が挙げられております。
おそらく、6人は大きな集団を持ち、影響力があり、お釈迦さまが活動していた地域の周辺に存在し、仏教とも少々関係があったから、あえて仏典において言及されているのでしょう。
その6人を「六師外道」(ろくしげどう・仏教以外の6人の師)といいます。
仏典にはこの6人以外にも、さまざまな事象に対して多くの見解・論があったとされていますから(たとえば、常住論・無常論・詭弁論などなど・・・)、当時のインドには6人以外にも、たくさんの仏教以外の思想家がいたはずです。
正確なことは何もわかりませんが、仏教同様、弟子を抱えて集団で暮らしていた思想家も数多くいたのでしょう。
その多くは途絶えてしまったのでしょう。歴史には何の痕跡も確認できません。
仏典に登場する六師外道の1人目は、「プーラナ・カッサパ」という人物です。
プーラナ・カッサパは、道徳などを否定したと伝えられています。
当時は、良いことをすると良い果報を得られ、悪いことをすると悪い果報がもたらされるという考え方が一般的であったと思われます(善因善果 悪因悪果といいます)。
しかし、プーラナ・カッサパは、他者を傷つけること、苦痛を与えること、悲しみを与えること、他者を襲うこと、強盗すること・・・これらの行為は罪悪ではないとしました。
また、布施や功徳となる良い行為も果報はなく、修行による成果もなく、(行為による)良い果報も悪い果報も存在しないとしました。
これらは、当時のインドの様々な思想家や宗教家の教えや実践を、意味のないものとして否定したのでしょう。
おそらく、上記のように考える理由や思想もあったはずですが、残念ながらこれ以上の詳細については仏典には述べられていません。
日本において、戦後、東京だけでも数百もの宗教団体が現れたといいます。
そのほとんどは、自然と衰え消えていったと思われますが、様々な要因によって、いくつかは今も勢力を保っているようです。
特に世情が大きく動く時は、心の支えや指針として、宗教というものが生まれてくるようです。
当時のインドでは、生活環境の厳しさに加え、都市の発達、農作物の生産量の増加、富裕層の登場など、伝統的な価値観に疑問を抱く流れもあったようです。
伝統的なヴェーダの宗教を土台として、またはそれを批判しながら、多くの思想家が登場していったのではないでしょうか。