初期仏教のお話10 「ジャイナ教」と「仏教」

「ジャイナ教」という宗教があります。
お釈迦さまと同時代から存在した宗教であり、仏典にもしばしば登場します。

「ジャイナ教」の開祖はマハーヴィーラ(1)といい、仏典においては「ニガンタ・ナータプッタ」と呼ばれております(ナータ族出身のニガンタ〔ジャイナ教徒〕の意味)。
仏典には、ニガンタ・ナータプッタが亡くなるお話もあり、お釈迦さまより少し年上であったと想定されています。
「ジャイナ教」は、業(行いの結果・報いなど)による「輪廻」からの離脱を目指しています。

「ジャイナ教」は現在も存続し、インドにおいては400万人以上(人口の0.4%)の信徒の方がいるそうです。
最尊寺があります台東区御徒町には、インドの宝石商の方々がたくさんいます。
「ジャイナ教」の方が営んでいることが多いらしく、小さな「ジャイナ教」の寺院もあります。
ジャイナ教徒は非常に真摯でまじめな生活を営み、信頼されることもあり、インドにおいても資産家の方が多いと言われています。

後世の仏教学では、仏教と「ジャイナ教」は使う用語や教えなどの共通点も多いため、「姉妹宗教」として理解されておりました。
両者の経典群の中には、(なんと)まったく同じ経典もあります。
経典が共通しているとは、どういうことなのか……現代の仏教学では、明確な答えを出すことはできておりません。
(経典が伝承される過程や流れの中で混在したのか、当時の一般常識や共通の組織や基盤か何かがあったのでしょうか。出家者ではない人々の保持した経典群の流れが共通していたとも考えられます。)

仏典においては、基本的に「ジャイナ教は、よろしくない」という批判的な意味で言及されます。

おそらく当時、両者はライバル関係であったのかもしれません。
主に居住・伝道した地域や法などが重なる点も多く、比較対象にされやすかったのかもしれません。

ジャイナ教が端的に仏教と異なる点といえば、「戒律がとても厳しい」という点があるでしょう。
出家者の厳しい苦行や、無所有、禁欲主義、特に徹底した「非殺生」であることが知られています。

 「殺されるべきとお前が思っているもの、それこそがお前というものだ(2)

などと、自己と他者を同一視し、厳しく殺生を禁止したそうです。
また、苦行として「断食による死」を理想ともしています。

裸の行者は「空衣派」といい、他に衣を着る「白衣派」などがあります。
仏教と同じように、在家信者の方々が、出家者の生活を支えています。
(他にも諸々異なりますが、「ジャイナ教」の複雑な教えや戒律のお話は、『ジャイナ教とは何か』(風響社)などがお勧めです)

仏典において、「ジャイナ教」はどのように登場するのでしょうか?
下記は、「ウパーリ・スッタンタ」(Upāri-Suttanta)というお経のあらすじです。

・お釈迦さまはナーランダーに滞在していたとき、
 (ジャイナ教の指導者)ニガンタ・ナータプッタもナーランダーに滞在していました。              

・ジャイナ教の行者タパッシンはお釈迦さまと会い、
 ジャイナ教では、身と言葉と心の罰のうち、身の罰が一番重いと説明します。

・タパッシンはニガンタ・ナータプッタの元へ帰り、
 沙門ゴータマ(お釈迦さまのこと)へ身の罰が一番重い、と説明したことを報告します。
 ナータプッタは「よろしい、よろしい」とタパッシンを褒めました。

・ジャイナ教のウパーリもまた、お釈迦さまのところへ行きました。
 今度はお釈迦さまに、心の業が一番重いことを説明され、ウパーリは納得します。

・ウパーリは仏教の在家信者となりました。

・ナータプッタは帰ってきたウパーリの元へ駆けつけますが、
 ウパーリに「愚かなニガンタ(ジャイナ教)の人々の言葉は、
 愚かな人々を染めても、賢者を染めることはできない」などと言われ、
 いかに仏教が素晴らしいかを説明されます。

・ナータプッタは、血を吐いて倒れました(3)

ジャイナ教の公式な象徴
By Original: Mpanchratan Vector: Chainwit.
– This file was derived from: Jain Prateek Chihna.jpg:,
CC BY-SA 3.0,https://commons.wikimedia.org/
w/index.php?curid=19023584

仏教の経典は、後に語り部が口伝で詠み繋いでいきました。
この経は中くらいの長さに編纂され、詠み継がれたお経です。
内容は、いかに仏教が優勢であるのかを伝えています。
(個人的には、仏教もジャイナ教も、同様に素晴らしく、面白いものだと思います)
編纂された当時、そのように仏教を宣揚する必要があったのでしょうか。

仏教ではすべての行いを「身(体によるもの)」「口(言葉によるもの)」「意(心によるもの)」の3つに分けます。
その区分はジャイナ教も同じであり、どれが一番重い(重要な)ものであるかが異なったようです。

このように、教えの大枠は似たものがあり、「姉妹宗教」といわれる所以の一つです。
仏教を勉強する際、「ジャイナ教」にも視座を置くと、見えてくるものがあるように思います。 

(注・補足)
(1)マハーヴィーラ以前には23人の悟りを得た方がいたそうです。そういう意味で、マハーヴィーラを開祖としてよいのかは、難しいところだそうです。(河崎豊・藤永伸 編『ジャイナ教聖典選』, 国書刊行会, p.6).
(2)河崎豊・藤永伸 編『ジャイナ教聖典選』, 国書刊行会, p.75.
(3)Majjhima-Nikāya Ⅰ 371-387.

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